パワースポット、筆遊びで有名な雁田薬師浄光寺。護摩法要、厄除け祈願、がん封じ、息災延命の祈願寺。癒しの里霊園。

2011年7月12日 女川第四保育所 風船アトラクション

高速道路の規制や渋滞で、予定より一時間ほど遅れて石巻市を通過した。
沿岸から離れているからか、海は見えないのに壁をぶち抜かれた大型店舗などが両脇に連なっていた。
映像で見た瓦礫や自動車などはすっかり片付けられ、生々しさは薄れていたがその分、3階建て校舎並みの高さがある瓦礫置き場の山が生まれていた。
新しい住宅は頑丈なので、一見津波の被害を受けてないように見えるものもあったが、見分けるのは簡単だった。
津波に襲われた家は、窓ガラスが一枚も無いからだ。
時間に余裕がなくなってきたので、迷惑とは思いつつ車内で細長い風船をねじりながら女川町に現地入りした。
非現実的な光景を横目に見ながら、カラフルな風船をねじっている滑稽な自分に「オレ何やってんだろ…。」と、準備段階で士気が下がる。

今回、保育士さん含め110名程度の女川第四保育所を訪問し、30分の風船アトラクションを披露させてもらった。
風船の威力は絶大だった。
様々な色・形・大きさの風船が登場するだけで、子どもたちがキラキラした目で注目してくれた。
自己紹介で「まっぴん」の名を告げただけでなぜか笑いが起こり、作品が完成しても、おやじギャグを言っても、小さな会場は子ども達の無邪気な笑い声と拍手、そして笑顔に包まれた。
「オレ、プロになれたのか?」と、あやうく勘違いしてしまいそうだった。
途中、細長い風船が目の前で割れて、最前列の少年が「コワイ〜」と泣いてしまい、保育士さんの救助が入った。
笑顔どころか泣き顔にさせてしまい、焦る風船おじさん。
アトラクションのフィナーレは、直径60センチのくす玉風船が2個登場。
針のついた棒で割ると、120個のミニ風船が弾け散るサプライズ。
ヒヤヒヤしながらあの子の様子を伺うと、舞い散る風船を笑顔で見ていたので、ホッと胸をなでおろす。
終了後「笑顔のエコうちわ」を代表の園児に贈ると、子どもたちが声をそろえてお礼を言ってくれた。

色とりどりのミニ風船を持って教室に戻っていく子どもたち。
その微笑ましい後ろ姿を見送っていると、「今日は子ども達だけでなく、私たちも楽しませてもらいました。」と、保育士さんから笑顔で声をかけてもらった。
子どもだけでなく、大人も笑顔にできたようでうれしい。
お礼を言い園庭を歩いていると、「まっぴんバイバ〜イ!」と窓から大きな声で手を振ってくれる子どもたちの姿が。
ただでさえ丸い顔(と丸い身体)の自分は、笑顔でさらに顔を丸くし、うさぎと間違えて作った「ウナギ」を持ったまま、夢中で手を振り返した。
あっという間の一時間、後ろ髪を引かれる想いで保育所を後にした。

今回、急なお願いにもかかわらず、事務局の林さんや鷲森さんをはじめとする、メンバー皆さんの人脈やノウハウで、素晴らしい機会を与えてもらった。
子どもたちの笑顔を見て、「日本笑顔プロジェクト」の名に恥じない活動ができたと思う。
この場を借りて、ご尽力頂いた皆さんに感謝を申し上げたい。
本当にありがとうございました。

「バルーンアートで子どもたちを楽しませたい」「あわよくば人気者になりたい」
このシンプルすぎる動機と下心で、人前でパフォーマンスを始めたのが3年前。
先日、熟年女性に作品をプレゼントしたとき「夢のある趣味ですね」と言われた。
同じ手作りでも、家庭菜園や不用品のリメイクと違い、「面白いけど実益のない趣味」というコンプレックスがあったので、そう言われて照れくさいがうれしかった。

震災以降、「何か自分にも被災地でできる支援はないか」とくすぶっている人々が、日本中に大勢いる。
自分も、バルーンアートで被災地の子供たちや避難所生活を強いられている方々に、小規模でも、ひと時でも、笑顔を届けられないかと連日の報道を見ながらくすぶっていた。
しかし、「夢を奪われた被災地」に「夢のある趣味」を引っ提げて赴くのは、場違いで不謹慎のような気さえして、決意するのに4カ月かかってしまった。
「夢や希望」などという将来は言うに及ばず、「平凡な毎日」でさえも大自然の猛威に無条件で奪われた人たちを、心もとない腕前で楽しませようなんておまえは何様だと、一丁前に葛藤もあった。

それでも、行ってよかったと今は思う。
風船は笑顔を引き出すアイテムだという思い込みは、確信に変わった。
「ぜひまた来てくださいね」と保育士さんに声をかけてもらったが、笑顔のまま返事をしない風船おじさん。
被災地の根深いキズに触れないようにして、自分のやりたいことをやって成功したと喜んでいる自分は、やはりズルイやつかもしれない。
だからといって、このままただの自己満足で終わらせたくない。

今回の風船アトラクションは、小さな小さな活動ではあるけれど、これからも風船を使って元気のない地元や、できれば被災地にまた赴いて何らかの応援をしていきたい。普段、自分が観客や身近な人たちに応援してもらっているように。
自分ひとりでは何もできないが、また笑顔メンバーのお知恵とパワーをもらって、被災地に心の底から湧き出る笑顔が戻る日を信じ、微力でも活動を続けていきたいと強く思った。

風船おじさん まっぴん
中西 政男