パワースポット、筆遊びで有名な雁田薬師浄光寺。護摩法要、厄除け祈願、がん封じ、息災延命の祈願寺。癒しの里霊園。

笑顔プロジェクト被災地支援 宮城県女川レポート

2月26日から27日にかけて、宮城県の女川町に笑顔プロジェクトの一員として支援活動を行ってきました。9月に訪れてから2度目の女川町です。今回は、栗ヶ丘小学校の子どもたち2人が一緒に参加するということで、保護者のような立場で同行しました。

今回も北信ガスさんに集合し、夜 10時頃の出発です。子どもたちが眠れるかどうか心配していましたが、ぐっすり眠れている様子で少し安心しました。丁度朝日が昇る頃女川に到着し、前回も訪れた町立の病院から朝日を眺めることができました。朝日がものすごくきれいで、ここが被災した場所であることを忘れそうになりますが、手前に未だ倒れている建物を見て現実に引き戻されるような感覚になりました。それでもこの地にもこんなにきれいな朝日が昇るのだと、未来への希望を見ているようなそんな気がしました。

久しぶりに眺める女川の光景は、9月に訪れた時よりもがれきが片付いてきていて、なんだか少し殺風景な気がしました。道はきれいに整備されてきていましたが、片付けられたがれきの山は見るからに高くなっていて、がれき撤去の新たな問題が目に見えて大きくなっているのだなと感じました。復興への道のりを、毎日少しずつ、でも確実に進んでいるのだと感じました。 

今回の支援活動はラーメン班、クレープ班、物資班の炊き出し組と、リンパマッサージ班に分かれての活動で、私は物資班として活動しました。まず、9月にも映寿さんの筆遊びで訪れた女川第一小学校へ行き、子どもたちの贈呈式に同行しました。女川第一小学校には9月にはなかった建物が建っていたり、他の学校から届いたメッセージが増えていたりと、少し様子も変わってきていました。前回来た時にもお話をいただいた教頭先生が出迎えてくれました。

栗ヶ丘小学校の子どもたちは、女川の小学校の子どもたちのためにベルマークを 12万点も集めました。このお金でデジタルカメラ6個とメモリーカード6枚を女川の子どもたちに寄贈しました。贈呈式では、栗ヶ丘小学校の2人は小布施町につい、ベルマークを集めようとした経緯等を発表してきました。
とても堂々としていて立派でした。そして、女川の子どもたちがお礼の手紙を読んでくれて、歌を歌ってくれました。女川の子が、「女川の街はどうですか?」「たくさんあったがれきが私たちの目に映ることも少なくなりました。」と話していたのがとても印象的でした。震災から1年。子どもたちがどんな思いで今ここに立ち、どんな思いで生きてきたのだろうと、いろんな思いで胸がいっぱいになりました。
まっすぐな子どもたちの歌声は心にとても響き、本当に感動ものでした。子どもたちの力は本当に大きいです。 

発表をする栗ガ丘小学校の子どもたち

女川の子どもたちからお礼の手紙

発表を聞く女川第一小学校の子どもたち

握手する子どもたち 

贈呈式後、教頭先生が私たちにいろんな話をしてくれました。女川の小学校で2人犠牲になってしまった一人の家族の方の話では、お父さんだけ生き残り、今も悲しみ続けているということ。さだまさしのDVDを見ている時だけ唯一忘れられること。気付けば涙を流していること。一週間に一度読み聞かせに来てくれていた高台に住んでいるおばあちゃんが、被災して今は杖をつかないと歩けなくなってしまったこと。今も一週間に一回笑顔を見せるか見せないかという状態にある子のこと。被災したという事実にも、ひとりひとり物語があるのだと、私たちに話してくれました。話を聞きながら涙が止まりませんでした。きっとこの話を聞いていた子どもたちにとっても、ものすごく貴重な体験で、いろんなことを感じることができたのではないかと思います。

その後、他の班と合流し、物資の配布準備です。今回の配布物資は、笑顔クッキー・靴下カバー・信州おやき・消毒・フリーズドライなどです。子どもたちと共に袋詰めを行いました。靴下カバーや笑顔クッキーなどの手作りのものは、見ているだけで温かい気持ちになり、渡す私たちも嬉しくなりました。

11時から炊き出しが始まり、配布を開始しました。今回私は女川の人たちに物資を配布するのは初めてで、どんな反応をされるのか正直ドキドキしていました。笑顔で配布して、皆さんが少しでも笑顔になってくれればいいなという思いでいっぱいでした。平日で人が少ないのでは…と心配されましたが、みるみるうちにすごい行列になっていて、追いつかないほどでした。

笑顔クッキーと笑顔おせんべい

物資を手渡しているときに、「この靴下カバー本当に温かくて、子どもがこればっかりはいています!」とおっしゃってくれたお母さん、「笑顔クッキーまだあるかしら?楽しみにしていたの。」と心待ちにしてくれていた 笑顔クッキーと笑顔おせんべいおばあちゃん、「これもらっていいの?来てくれてありがとう。」とおっしゃってくれたおじいちゃん、たくさんの方に温かい言葉をかけていただいて、私の方が元気をいただいていました。笑顔は人から人へとつながっていくものですね。気がつけばあっという間に配布が終わってしまい、何人かの方にはごめんなさいとお伝えすることになってしまいましたが、クレープもラーメンも大反響でした。忙しくて写真が全然とれず残念でしたが、みなさんとても喜んでくれました。ここに来ることができてよかったと心から思いました。

ラーメンの配布

クレープの配布

片づけを終えて、最後にがれきの処理施設へ向かいました。今は臨時でがれき処理場へ出向されている伊藤さんにお話を伺い、がれき処理施設のDVDを見せていただきました。伊藤さんは女川第一小学校のPTA会長もなさっていらっしゃる方です。 女川町でのがれき等の災害廃棄物の量は44万4千トンに及ぶと推定されていています。あまりピンと こないと思いますが、ものすごい量です。選別は人の手でしているものもあります。放射能の関係からがれきの受け入れを拒否される等の問題が出ています。災害廃棄物の問題はこれからの女川の課題であり、日本の課題であると思いました。決して他人ごとではないということを、皆さんにもわかってほしいし、一緒に考えていかなければいけないと思いました。

がれき処理場

伊藤さんに栗ガ丘小学校の子どもたちが、「今何を伝えたいですか?」と聞いたとき、「私たちは元気ですと伝えたい」とおっしゃっていた表情が、何とも言えない明るい表情で、とても頼もしく見え、女川の人たちも前を向いて歩き始めているのだと感じました。

がれき処理場のすぐ近くの道路沿いには、子どもたちの描いた絵が飾られています。とても明るい色遣いで描かれているものが多くあるのが印象的でした。どんなことを想像してかいたのかな…と微笑ましく見ていました。どれも元気をもらえるすばらしい作品ばかりです。心に深い傷を負いながらも、それでも必死に前を向き、明るい未来を目指す子どもたち。そんな子どもたちの気持ちに応えたいと思いました。この未来を担う子どもたちのために、今私たちは何ができるのだろう…。そんなことを考えながらまだ雪の舞う女川を後にしました。 

子どもたちの作品

「哀しいことも、苦しいことも、時間が解決してくれる」という言葉をよく聞きますが、そんなに簡単なものじゃないと、今回改めて感じました。被災した人たちの心の傷はそんなに簡単に癒える訳もなく、ましてや忘れられる訳もありません。震災からまもなく1年が経とうしていますが、今も涙を流し続けている人がいます。

友だちに囲まれている時には元気そうにしているけれど、ふと一人になった時、哀しみが襲ってきて、苦しんでいる人たちがいます。そういう現実も皆さんに知ってもらいたいし、忘れないでほしいです。目に見える町の復興だけでなく、これからは目に見えない心のケアも大切だと感じました。時間がかかるけれど、少しずつでも前を向いていけるように、そして被災地のみなさんが心から笑える日がくるように、これからも活動を続けていきたいと思います。みなさんも知ることから始めませんか?

題名「生きる」

小布施町役場 日本笑顔プロジェクト 平林 日香理