2011年11月8日 女川町に関する報告、
「ボランティア」及び「日本笑顔プロジェクト」について
女川町に関する報告、「ボランティア」及び「日本笑顔プロジェクト」について
私は、飯山市の社会福祉協議会に勤務する木鋪(きしく)と申します。
今回の支援の様子などについては他の方が詳述されると思いますので、私はいわゆるボランティアコーディネーター(Vo.Co.)として、「専門職」(Vo.Co.)という立場から女川町等の被災地の状況報告と「ボランティア」について、そしてそれに関連した目線からの「日本笑顔プロジェクト」について、僭越ながら述べさせていただきます。「釈迦に説法」になる部分もあるかと存じますがご笑読いただければ幸いです。
I.被災地報告
まず、女川町の様子について、現地スタッフSさんへの聞き取り調査を行いましたのでご報告します。
平成23年3月11日の震災では、町の7〜8割が被災したそうです。その際には、ボランティアどころか社協も入れず、行政や自衛隊が介入しました。当初はガレキの撤去どころではなく、行方不明者の捜索が当然ながら優先されました。
その後、3月17日にボランティアセンター(VC)が立ち上げられ、主に行政から下りてくるニーズに対して対応しました。その内容は、避難所への出向、家具の洗浄、崩れたブロックの片付け、落ちた屋根瓦の片付け等でした。避難所での聞き取りの際、寒さ対策(下着などの着替え)等、自分の身の周りのものが多く挙げられたそうです。食事の配給は1日2回のみ。在宅の方々は、食べるものも電気もない生活で、「今日をどう生きるか」しか考えていなかったということです。
そのような中で、3月20日、被災してライフラインもままならない在宅の方々が、「自分たちにできることはないか」と申し出てくださり、20数か所ある避難所の物資の仕分け作業をしてくださったのだそうです。
5月下旬から6月上旬に仮設住宅が建ち始めました。その時期の主なニーズは、引っ越し作業、家電の配線、柵づくり、倉庫の片付け等。更に、「マリンパル女川」や女川河口付近の片付け等もありました。
それらと同時進行で、漂着した写真の洗浄と、株式会社リコーさんの協力の下でのデータ化等が行われました。
11月11日現在(再度電話でボランティアコーディネーターに聞き取り)のニーズは、仮設住宅(230世帯)の駐車場の看板作製と設置、写真・アルバムの修復、保育所のスノコのレストアなどだそうです。また、自衛隊の持ってきたテント(40張)に住んでいた方々が仮設住宅に出られたため、そのテントたたみを10日に終えたそうです。
ガレキの撤去については、8月まではボランティアで賄っていましたが、現在は近隣の住民の雇用創出として、近島を含め、委託しているとのことです。
いわゆる「話し相手」のニーズについては、潜在的にはあるはずですが、なかなか顕在化してこないと仰っていました。土地柄もあるのでしょう。そのため、行政などの「支援員(=相談員。看護師や保健師など)」が仮設住宅等を廻って様子を伺っているのだそうです。これは今後の課題と言えるのではないかと思います。
上のことなどから、行政で「お茶のみサロン」を開いていますが、参加者はそれほど多くなく、特に男性の参加者が伸び悩んでいるそうです。
5つの避難所は、11月9日をもって全て閉鎖されました。しかし、その内のひとつは「待機所」と名称を変えて実質的には存続するようです。
ただ、仮設住宅(30箇所)を3つのエリアに区切り、交流会を計画するなど、VCとしての企画・運営をしているそうです。
現在、一日のボランティア受入数は、平均して8名ほど。
地元の業者も立ち直りつつあり、愛媛県からの社協のブロック派遣支援も入っています。
このお話を聴きながら思ったこと。
・私が支援に入ったことのある岩手県に比べて、復旧の程度が遅れている。
→災害発生時は、流れとして、発生直後の「緊急期」、その後の「復興期」という過程を経て「平時」つまり被災以前の生活状態に戻るのですが、女川町では、11月に入っても、まるで「緊急期」初期のような炊き出しや毛布の要望、更に瓦礫撤去等のニーズや必要性が已然として残っている。
・行政に依存する部分が大きい。
→あらゆることが行政主導で進んでいるような印象を受けました。
これは決して悪いことではないのでしょうが、社協(VC)としてのレゾンデートル(存在意義)が弱まってしまうことが危惧されます。
そのような中にあっては、まず外部の社協(女川町には既述のとおり愛媛県社協が入っています)、そして民間団体等の活躍が期待されるのですが、「日本笑顔プロジェクト」では、その負託に過不足なく応えていると感じました。
現地スタッフSさんに、「これからどういう町にしたいか」を尋ねたところ、以下のように仰っていました。
「以前のようにはいかないが、津波が来ても怯えることがなく暮らせるまちになって欲しい。これからも女川に住みたいと思っている。皆が、“ここで暮らして良かった”と思えるようなまちづくりを期待している。」(要約)
これも、インフラ整備等も含めて、行政の意向・動向に関わるものだと思います。
同日(11月日11日)の電話での聞き取りの際に、ボランティアコーディネーターのTさんに同様の質問を伺ったのですが、Tさんは、
「住民に寄り添って活動している。先のことは、今は考えていない。」
と仰っていました。
被災した方々は、疲れています。
岩手県山田町の方も仰っていました。
「あなた方のようなボランティアが来てくれて本当に助かる。自分たちで何とかしなければと思うが、まだそんな気持ちにはなれない。生きているのが精いっぱいだ。」
これは被災したことのある者でなければ解らない気持ちでしょう。行政に頼る、ボランティアに頼る、これは仕方のないことだと言えます。むしろ頼っていいのです。
そのような中での「日本笑顔プロジェクト」の存在や役割は大きいと思います。
II.「ボランティア」について
次に、「ボランティア」について、今さらですが述べます。
以前は、その定義として(1)「自発性」、(2)「無償性」、(3)「利他性」が挙げられていましたが、現在では、そこに(4)「先駆(先見、創造、開拓)性」、(5)「補完性」、(6)「自己実現性」が加えられています。また、「無償性」については、「有償ボランティア」というものが出現してきたことで、定義からは外れつつあります。
更に、特に災害ボランティアにおいては、(7)「自己完結性」もボランティアの要素として必須のものです。つまり、活動先まで自分で行って自分で用意した物資等を使って支援活動をして、自分で帰ってくる、ということです。
もう一つ加えるとすれば、(8)仕事のスキルなどを活かしたボランティア(=「プロボノ」)というものもあります。これは例えば、今回の大震災にいち早く現地に駆けつけた日本赤十字社や「国境なき医師団」の医師や看護師がそうです。
III.「日本笑顔プロジェクト」との相関性
ここからは、今回の女川町支援について、そしてそこから見えてきた「日本笑顔プロジェクト」について、上記の「ボランティアの定義」と関連付けてお話しいたします。
先の支援では、「日本笑顔プロジェクト」におかれましては、上記(1)から(8)までをほぼ完璧に網羅されていたと感じました。各々につきまして、簡単に記述させていただきます。
(1) 「自発性」について。
言わずもがななので割愛させていただきます。
(2) 「無償性」(災害時)について。
これについては、現地の業者等が復旧・再開すれば、基本的に地産地消が好ましいのですが、現時点では未だそこまで到達していないようなので問題無いかと思われます。
ちなみに、岩手県山田町VCでは、被災者の自立を促進するために、無償の支援を中止しているそうです。また、炊き出しに関しては、地元の業者から食料等を購入し、実施しているとのことです。
(3) 「利他性」について
これにつきましても(1)と同様に割愛させていただきます。
(4) 「先駆性」について
「日本笑顔プロジェクト」は、非常に先駆的だと言えます。被災地への支援活動をしているボランティア団体は他にも数多くありますが、アイデア・ネットワーク・情報の発受信・支援の方法等については、他に類を見ません。もっと言えば、「先駆性」とは関係ありませんが、「想いの熱さ」に関しては群を抜いていると思います。
(5) 「補完性」について
ボランティアにおける補完性とは、行政や既存の制度で賄いきれない部分を補う、ということを意味しますが、被災地において、正にそれを実践されているのが「日本笑顔プロジェクト」です。
(6) 「自己実現性」について
これは非常に難しいことです。「ボランティア活動」を単なる「自己満足」で終わらせるようでは「当事者(被災者)主体」の活動はできません。また、いわゆる「おしつけボランティア」になってもいけません。
「自己実現」については、参加されている皆さんも、私も含め、そこまで深くは考えていないと思われます。「自己実現」とは何か、私自身にも解っていません。しかし、簡単に言えば、「生きがい」とも呼べると思います。そのような意味では、これについても十分に応えていると思われます。
(7) 「自己完結性」について
ボランティアセンターや活動先において、
「あれが要る」
「これは無いか」
と言うボランティアさんがいらっしゃいます。これでは逆に被災者(被災地)に迷惑をかけることになります。
しかし、これについても「日本笑顔プロジェクト」では、こちらから持っていくものと現地で調達できるものを現地VCと連絡・把握・調整し準備し、しっかりと「完結」させていると感じました。
(8) 「プロボノ」について」
「日本笑顔プロジェクト」を語る上で、このことは外せないと思います。今回も、リンパマッサージ、そば打ち、ガス会社、食品会社、バス会社、女子高生等、非常に多くの「エキスパート」が参加され、それぞれのスキルを活かしていらっしゃいます。
「日本笑顔プロジェクト」は、「正にプロボノの宝石箱」であり、「正にプロボノのナイアガラ」であり、また「正にプロボノのIT革命」と言えるのではないでしょうか。
これについては、林代表のネットワークと、最終的には彼の人徳に尽きると感じました。代表の人柄、行動力、アイデア等に魅せられた仲間が、長野県内外を問わず今後も増えていくことは想像に難くありません。
また、現地の方々との「つながり」についても言及すべきです。
「めぐりな」さんを始め、山中さん、更に女川小学校の児童など、先方とのつながりが非常にしっかりとしています。
被災地支援にあっては、被災した方々を「忘れない」ことが必須です。具体的に換言すれば、「忘れられていると感じさせない」ことです。
これだけメディアの報道がなされている中にあって、被災した方々は、「忘れられている」ということに、とても大きな不安感をもっているようです(岩手県への支援時、及びTVの報道から)。
その意味では、頻繁な訪問・支援活動とコンスタントな連絡(主にメールによる)を取っている「日本笑顔プロジェクト」は、本当の意味での「被災地支援」を行っていると言えます。
今回は、「めぐりな」さんによる、我々ボランティアへの“逆炊き出し”、女川小児童の見送り等、現地からの「笑顔」もたくさん頂きました。
このことは、私の心に一生残るものです。
本当にありがとうございました。
以上、今回の支援に参加させていただいて感じたことなどを、駄文・拙文ながら述べさせていただきました。
この支援活動に参加させていただいたことに、この場をお借りしまして深く感謝申し上げます。
末筆になりましたが、「日本笑顔プロジェクト」の今後の更なるご活躍とご発展を心より祈念いたします。
平成23年11月11日 (文責:木鋪 真之)